第7回「福島を忘れない!シンポジウム・現地見学
「福島を忘れない全国シンポジウム」130名で盛況
7月13日、福島グリーンパレスホテルで「第7回福島を忘れない全国シンポジウム」を開催し、翌日原発事故で被害を受けた自治体の現地視察を行いました。
シンポジウム会場
この取り組みは、福島第一原発事故の2年後からはじめました。今回は参議院選挙の真っただ中で、事前の申し込みが少なく参加が危ぶまれていたところ、ふたをあけると、福島からの参加が多く130名を超える盛況となり、用意した資料が足りなくなり、参加者にごめいわくをおかけしました。
川俣町から菅野清一議員、浪江町から馬場績議員、葛尾村から松本静夫議員、飯舘村から佐藤八郎議員が報告し、帰還後も高齢者以外は帰れない厳しい現状をお聞きしました。南相馬小高から横浜に避難している村田弘(福島原発かながわ訴訟原告団団長)、福島原発告訴団団長武藤類子さんか、東電の3人の責任者を告訴した裁判の判決を9月に控え、公正な判決が出されるよう支援の輪の拡大が呼びかけられました。
パワポで報告する武藤類子さん。
記念講演をお願いした小出裕章さんからは、第一原発事故現場は「100年たっても処理することはできない」との厳しい指摘があり、石棺で覆っているチェルノブイリ原発の状態より深刻な第一原発の実態が説明されました。
懇親会で質問に答える小出裕章さん
7月14日の原発被害自治体現地視察は、松本葛尾村議と渡邉飯舘村議、木幡大熊町議の案内で、バスで飯舘村役場、南相馬道の駅から6号線沿いを、浪江町請戸地区、大熊町、第一原発周辺の帰還困難地域を通過し、富岡駅、いわき市のよつくら道の駅まで走りました。原発事故から8年が経って、それぞれの地域に変化がみられました。飯舘から浪江まで、除染土が撤去されたところ、まだ積み上げられたままの場所、除染により住宅や道路の放射線量が下っても、一歩畑や林に入れば放射線量は高いままです。
奇跡的に生徒全員が、山に駆け上がって助かった請戸小学校前で説明する木幡大熊町議
大熊町に入り、壊れかけたままの家が並ぶ国道6号線沿いの帰還困難地域は、放射線測定器の警戒音が鳴りっぱなしでした。そこを抜けたとはいえ、放射線量の高い楢葉町、広野町のJヴィレッジから聖火リレーをスタートし、アスリートに競技まで行わせることが、どれほど無謀なことかわかりました。原発事故が収束したかのような宣伝に隠された福島の実態を学んだ今、その周知に努め今後も福島と忘れず闘い続けます。
シンポジウム・現地見学の感想
小出さんの厳しいお話から学びました
●5年前に浪江にきた。今回の現地見学で、浪江はどうにか復興していると感じたが、大熊は相変わらずゴーストタウン。小出さんは、汚染地域に子どもが住まない方が良いと言っていたが、飯舘では雨の中で子どもたちがサッカーをしていることにショックを受けた。
大変勉強になった。今回の小出さんの話はいつもと違っていた。福島なので違うのだと感じた。活動の源泉にする。
●福島にやっと来られた。百分は一見に如かずで、中身が濃くて良かった。小出さんの話は辛口で、福島とどう向き合うか、後始末の大変さを感じた。 小出さんの話が良かった。子どもたちに放射能を浴びさせるな!食べさせるな!という言葉が心に残る。福島の野菜は私たちの世代が食べればよい。
●小出さんの話。厳しい現実が示された。気づいたら行動へ移すこと。富岡・請戸 の現地のがんばりを見た。私たちはどうするか、よびかけていく必要かある。線量の高いところへ行かされる子どもたちを、どう支援していくか?
●非常事態宣言のままに避難解除が進んでいる。小出さんも言うように、1mSv/年が法令基準なのに、それを越えた地域に子どもを帰そうとしている。メディアはほとんど報道しない。事実を伝えたい。
オリンピックと偽りの「復興」
●飯館村のグランドでの、こどもたちのサッカーに驚いた。町にいるのは作業員ばかりで、マスクもつけずに立っている。復興予算として、福島に投入されたお金がゼネコンにいく。原発の前をオリンピック聖火ランナーが通るという話に悩む。
●放射能汚染地帯では、限界自治体や限界集落となるのではと感じた。人々の心が離れるのではないか。特に五輪の後が問題だと思う。 復興とは何かを考えさせられた。農業は復興してないし、線量の高い処で子どもたちのサッカーは切ない。フレコンパックの隣のソーラーパネルも。
●2回目の参加。現地の状況変化を感じた。ゼネコンのための復興事業だ。人々がまだ帰れない状況。放射能汚染が恐ろしい。関西には11基の原発がある。40年越えての運転を止めて、原発ゼロをめざして活動する。来年も企画してほしい。
●始めての参加。たいへん良かった。復興と言いながら、かけるべきところにお金をかけない。億単位のお金が無駄に使われている。子どもが通わない学校など無駄ばかり。補償は打ち切られて、被害者にお金が回ってない。これらのことを多くの人に伝えたい。子どもたちはよくユーチューブを見るので、それも良いかも。これまでと違ったアプローチが必要。ひとり一人でできることと、人がつながってできることを。
3.11から8年、福島の変わりよう
●以前に来たとき、浪江と富岡の惨状を見た。今回は一見してきれいになったが、被害のステルス化があるらしい。これからもしっかり見ていく必要かある。地元議員の報告から、人を大切にしない政策に怒りを感じたが、これを原動力に活動していく。
●いろいろな人と話ができた。原発反対の自治体(浪江)が放射能の被害を受けた話。子どもが三人いる。知ると怖いが、向き合わなくてと思う。
●80歳代の方)テレビで爆発を見ていた。ドキドキしながら。その後、現場からの情報が報道されない。映像を映す側の人間なので、集会やデモを撮った。被災地に行くパワーはなかった。3年目に写真撮りにいった。請戸小のところは残骸だらけ。それらの写真で賞もいただいた。今回はバスならと思い参加した。見納めかもしれないが参加して良かった。
今回学んだ福島の真実を伝えたい
●動画を配信したら、いろいろなコメントきている。現場をみる大切さを感じた。福島の現実を、自分ごとにしていかなくてはと思う。
●4回目、福島の移り変わりをみてきた。ツアー視察で得たものを、多くの人に伝えていくことが課題である。来年もきたい。 シンポと現地見学のバランスがいい。地元の議員の話もとても良かった。東京の10倍も100倍もの放射能がある。福島はそれでいいのか?
●汚染土の問題がたいへん。若い人の力になりたい。放射能の基準もひどい、世界に通じない数値。来年もきたい。
シンポジウムのチラシ
(上のチラシ(画像)をクリックするとpdfファイルのチラシが表示されます。)
・第7回 福島を忘れない全国シンポジウム
・第6回 福島を忘れない全国シンポジウム
・第5回 福島を忘れない全国シンポジウム
・第4回 福島を忘れない全国シンポジウム
・第3回 福島を忘れない全国シンポジウム
・第2回 福島を忘れない全国シンポジウム
・第1回 福島を忘れない全国シンポジウム